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【会社概要・前編】次の100年を創るHelteの現在・過去・未来
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【会社概要・前編】次の100年を創るHelteの現在・過去・未来

世話カツ編集部
世話カツ編集部(Helte) 公式

2026年10月09日

株式会社Helteは、日本のシニア層が世界の日本ファンと日本語で交流する「Sail」のプラットフォームを中心に事業を展開しています。Sailを核とした自治体や大学、他企業との取り組みにより、社会課題を解決する多くの事業が生まれてきました。

「分断のない活力のある社会を創る」をミッションとするHelteがどのように誕生したのか、そして未来に向かってどのように成長していこうとしているのか、株式会社Helteの代表である後藤 学に話を聞きました。

誰もが誰かの希望になる。そのつながりを可視化したい

1. Helteの事業内容についてお聞かせください。

Helteは、「分断のない活力ある社会の創造」をミッションに掲げる会社です。私たちの中核事業は、日本人と外国人をつなぐオンラインプラットフォーム「Sail」の運営です。

このサービスでは、日本語を学ぶ世界中の外国人と、アクティブシニアを中心とした日本人が、1回25分間、1対1で日本語によるオンライン交流を行っています。
参加する日本人は、自動車メーカーや広告代理店、レストランのシェフなど、第一線を退いたものの豊かな経験とスキルを持つ方々ばかりで、日本文化への深い理解も備えています。
彼らの知見や経験を次世代へとつなぐことを目的に、「Sail」はスタートしました。

この取り組みは、少子高齢化による医療費の増大という社会課題の解決にもつながると期待されており、現在15の自治体と連携協定を締結しています。ICTを活用した交流が高齢者の社会参加を促し、心の健康維持に寄与する効果が注目されています。

また、ヘルスケア分野にも展開を広げています。「Sail」の利用者は現在約3万8,000人、世界170か国以上に広がり、これまでに累計数十万回以上の会話が生まれています。
こうした会話データをAIで解析することで、軽度認知障害(MCI)など認知症の前段階の兆候や、うつ傾向の早期発見を目指しています。
これらの技術は製薬会社や保険会社と連携し、予防医療や商品設計への応用を進めています。

第二の柱は、世界最大級のオンライン日本語スピーチコンテスト「Sail夢プロジェクト」です。「日本が好き」「日本で働きたい」など、世界中の人々の夢を応援するために立ち上げたもので、入賞者には日本への招待や、日本企業でのインターンシップの機会を提供しています。
2024年には第3回大会を開催するなど、世界中の日本語学習者の挑戦を応援する取り組みとして継続的に実施しています。

第三の柱が人材紹介事業「世話カツ」です。「Sail」ユーザーの約30%が日本での就職を希望しており、彼らと日本企業をマッチングする仕組みとして展開しています。
ホテル業界を中心に、大手ホテルグループへの内定や日本各地での就職実績を着実に重ねています。

👉内定者のリアルな就職ストーリー・インタビューはこちら(内定者の声|sewa-katsu Story)

2. Helteという名前の由来にはどのような思いが込められていますか。

デンマークのデザイン会社と制作したHelteロゴ・コンセプトデザイン①

「Helte」は、デンマーク語で“ヒーロー”を意味する言葉です。アメリカに留学していた際、授業でデンマークについて学ぶ機会がありました。
女性の社会進出や充実した福祉制度、質の高い教育など、社会全体で人々の幸福を支える仕組みに深く感銘を受け、心から尊敬の念を抱きました。
その思いを込めて、あえてデンマーク語を選んだのです。

「ヒーロー」という言葉を選んだのは、特別な能力を持った映画の主人公のような存在ではなく、誰もが日常の中で、誰かに夢や希望を届けられる存在になれると信じているからです。
自分の行動が、誰かの力になっていると実感できる——そんな社会の実現を目指したいという強い思いがあります。

そしてその“誰か”は、日本国内にとどまらず、国境を越えた世界中にいてほしい。夢や希望が人から人へと伝わっていくことで、分断のない、つながりに満ちた社会が形づくられていくと考えています。
デンマークのデザイン会社と制作したHelteロゴ・コンセプトデザイン②

さらにサブテーマとして、日本文化を世界に発信し、ブランドとしての価値を高めていきたいという思いもあります。
日本の魅力に共感するファンが増えれば、日本人が海外の人々と交流する機会も自然と増えていくはずです。
それは日本そのものをエンパワーメントすることにもつながると信じています。

一人たりとも排除しない価値観との出会い。Helteの原点


3. 起業につながる幼少の頃の印象的な体験をお聞かせください。

私は母子家庭で育ちました。母はカメラマンとして活動しており、1年のうち半分ほどは海外で仕事をしていました。
その間、私は祖父母のもとで過ごしていましたが、母が送ってくるポストカードや異国の香りがするお土産を手にするたびに、「世界はこんなにも広く、知らない景色がたくさんあるんだ」と、想像の翼を世界へと広げていくことができました。 アメリカのサーカス団と旅をする母親
また、母の事務所にはフリーランスのライターやデザイナー、カメラマンなど、多様な働き方をする大人たちが自然に出入りしていました。小さな頃から、誰かに雇われるのではなく、自らのスキルで生きていく姿を間近で見ていたことが、私の中で“働く”ということの選択肢を広げてくれたのだと思います。
その原体験が、結果的に起業へとつながる大きな土台になっていたのではないかと感じています。

4. 後藤さんは多くのメディアでお母様の影響を語っています。どんな存在だったのでしょうか。

一言で言うなら、「生粋のクリエイター」です。正直なところ、社会人としてはかなり型破りで、お世辞にも“尊敬できる”とは言い難い部分もありました(笑)。
けれど、常識や枠にとらわれず、迷いなく世界へ飛び出していく行動力には、今もなお大きな影響を受けています。

母は「考えるより先に動く」タイプの人間でした。ある日突然、写真展を開くと言って単身アメリカへ渡り、現地のサーカス団に飛び込んで同行しながら、シアトルからロサンゼルス、ニューヨーク、ボストンと、全米を巡ったこともあります。
そんなふうに、情熱のままに動き続ける母の姿を、私は幼いころからずっと見てきました。
米国から帰国後、新宿二丁目のドラッグクイーンの密着・撮影

私自身、起業したときは知識も経験もほとんどありませんでした。それでも一歩を踏み出せたのは、「まず動けば道は拓ける」という母の背中が、どこか心に残っていたからかもしれません。
時には、根拠よりも情熱を、確信よりも最初の一歩を信じる勇気が、未来を切り開くのだと思っています。

そんな母との忘れられないエピソードがもう一つあります。私は高校時代、スポーツ推薦で野球部に入部しました。ところが、新チームの夏、なかなか試合に出られず、みんながグラウンドで戦っている間、私は裏でひたすら素振りをする日々。推薦で入ったというプライドが砕かれ、「もう辞めたい」と母に打ち明けたことがありました。

すると母は何も言わず、私を少年野球時代によく通った近所の野球場に連れていってくれました。夏の湿った空気に包まれた、小雨の降る静かな夜でした。
タバコをくゆらせながら、無言で隣に座る母と、誰もいない観客席でただぼんやりと時間を過ごす。その何気ない時間が、心の中を静かに整えてくれて、「もう一度やってみよう」と思えるようになったんです。

その後、再び試合に出られるようになり、「あのとき辞めなくて本当によかった」と心から思えました。何より、自分の中に“粘り強さ”という感覚が芽生えた気がしました。
このときの経験が、起業後に立ちはだかった数々の壁を乗り越える力の礎になっていると感じています。

母は、社会の枠におさまらない不器用で型破りな人でした。でも、だからこそ、私にとってはかけがえのない“原動力”を与えてくれた存在だったのだと思います。
今でもふと、居酒屋や街角で「ピアニシモ」のタバコの香りをかぐと、不思議とあの夜の光景がよみがえるんです。——ちょっとだけ、笑ってしまいながら。


5. Helteの事業を考えるに至った原体験があれば教えてください。

大学時代に2度、留学を経験しました。2年生のときにアメリカ・シアトルへ、3年生ではインドのゴア州に滞在しました。
さらに、3年生の終わりに帰国して内定を得た後は、お金を貯めて約30か国を旅しました。

なぜそこまでして海外を巡ったのかというと、当時の私は漠然とした不安を抱えていたからです。母が年の半分以上を海外で過ごしていたこともあり、幼い頃から「家庭」という枠組みへの帰属意識が薄かった。
友人たちのように、安心できる「場所」や「人」が身近にある感覚をあまり持てていなかったのだと思います。

「自分は何者なのか」「どこへ向かっているのか」――その答えを探すために、旅に出ました。そして不思議なことに、誰も自分を知らない、気にもかけていない国や土地に身を置くことで、孤独ではなく、むしろ“解放感”を味わっている自分に気づいたんです。

東南アジアを旅していたときには、「このダムは日本人がつくったんだよ」と誇らしげに語ってくれる現地の方がいました。日本という国が海外の人から尊敬されていることに驚きましたし、同時に「自分はそんな国に生まれたんだ」と、初めて日本に対して誇りを持てた気がしました。
それまでずっと「自分は恵まれていない」と感じていた私が、旅を通して「自分にも何かできることがあるかもしれない」と思えるようになったのです。

特に強く影響を受けたのが、インド西部のゴア州での体験です。ここはフランシスコ・ザビエルが布教活動の最後に訪れた場所で、今でも住民の半分近くがキリスト教徒です。
カースト制度の抑圧から逃れた人々が、キリスト教の教えに救いを見出した背景もあり、宗教的な多様性が非常に豊かです。
ヒンドゥー教会の隣にキリスト教会が建ち、その前でヒンドゥー教のお祭りが開かれている光景に、私は衝撃を受けました。 ゴア市内にある教会。目の前ではヒンドゥー教のお祭りが行われている
また、ゴア州はヒッピー文化の聖地としても知られ、自由な価値観を持つ人々が集まっています。当時の私は、多くの日本人が共有していた“正しさ”や“常識”に違和感を覚えていた時期で、そうした人たちとの出会いが、私の中にあった凝り固まった価値観を大きく揺さぶってくれました。

「価値観の違う人たちが共存できる社会こそ、課題解決の鍵になるのではないか」
そんな気づきが、のちのHelteの理念――「分断のない社会の実現」につながっていきました。

この体験の積み重ねが、のちに「Helte」という会社を生み出す土台となっていきます。
後編では、そこからどのように事業の構想が形になっていったのかをお届けします。

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